明和4年(1767)、上杉鷹山が米沢藩主になった際に詠んだ和歌「受次(うけつぎ)て 国のつかさの身となれば 忘るまじきは民の父母」に由来する石碑で、脇の碑には解説が記されています。新たに藩主となった鷹山は、この和歌によって、父母が民を思いやるような姿勢で、政治に取り組む決意を示したのでした。 Post 伝国の辞碑 前の記事 上杉鷹山公像 次の記事