場所
米沢市は、四季折々の美しい自然と、上杉謙信公・景勝公ゆかりの歴史が息づく山形県南部のまちです。日本百名山の一つ《吾妻連峰》のふもとに広がり、冬は雪景色、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉と、訪れるたびに表情を変える豊かな自然が、訪れる人々を迎えます。
特産の米沢牛は、世界に誇る極上の味わい。そのほか、伝統工芸や地酒、四季の恵みを活かした郷土料理など、五感で楽しむ魅力が詰まっています。
さらに米沢は、山形・福島・宮城の県境に位置し、東北の玄関口として各地へのアクセスも便利。
東京からは新幹線で2時間で到着します。
ぜひ米沢を起点に、置賜エリアや東北の広域周遊を楽しみながら、この地ならではの発見を重ねてください。
歴史
城下町として発展した米沢は、かつてこの地を治めた名門・上杉氏のまちです。
もともと新潟県上越市(春日山城)に拠点を置いていた上杉家は、上杉景勝公が家督を継いだのち、数々の功績と豊臣秀吉公への忠誠心が認められ、広大な会津の地(会津120万石)を治めることとなりました。
しかし関ヶ原の戦いに石田三成公率いる西軍が敗れると、石田側についていた上杉景勝公も降伏を余儀なくされました。
その後上杉家の存続は認められたものの減封(領地を減らされること)され、今の米沢市(米沢30万石)に移り住みました。それ以来、実に272年もの間、米沢の地を治め、その歴史や文化は今もまちの随所に息づいています。
かつての米沢城跡は、現在「上杉神社」として市民や観光客に親しまれ、四季折々の美しい風景とともに人々を迎えています。さらに、すぐ近くの米沢市上杉博物館伝国の杜や稽照殿(宝物殿)では、上杉家ゆかりの貴重な品々や歴史に触れることができます。歴史ロマンあふれる米沢散歩、ぜひここから始めてみてください。
米沢市の由来
「米沢”ヨネザワ”」との地名の由来は米が豊かに実る沢地(湿地)だったとの説や、白い水(米を研いだかのような色)が出た井戸があったことから米井(ヨネイ)、さらに国の端であるにも多くの人が訪れている様から潤沢であることを意味する澤と併せて「米澤」となった説などがあります。
また、伊達家古文書にも「当初米澤と書いて〝よなさわ〟と呼び、慶長(1596年~1615年)以後〝よな〟は〝よね〟に転化し、現今の如く〝よねさは〟と呼ぶ」との記載があります。
米沢のまちなみは、鎌倉時代にこの地に地頭が置かれて以来形成されてきました。特に、伊達氏が212年間米沢を領し、その後上杉氏が272年間、米沢30万石を領したことから、城下町としてのまちなみが形成されました。
現在のまちの原型は、上杉景勝公とともに米沢に移封となった上杉家家臣の直江兼続によって築かれました。
気候
山に囲まれた内陸の盆地で、気候は、夏が高温多湿ですが、年間降水量は全国平均と比較してやや少なくなっています。
昼夜の気温差が大きいため、果物などの農作物の栽培に適しています
また、冬は寒さが厳しく、特別豪雪地帯に指定されており、年間累計積雪深は10mに達することがあるほか、市街地でも平年の最高積雪深が約1mに達するほどの降雪量があります。
概要
市域の南側に広がる吾妻連峰は、大部分が磐梯朝日国立公園に指定されており、四季折々の雄大な自然景観が楽しめます。
大自然を感じられるキャンプ場や、夏山登山・トレッキング、スキーなどのアクティビティも盛んです。
さらに、米沢の奥座敷である小野川温泉のほか、吾妻の山々には古くから奥州三高湯のひとつと言われた白布温泉をはじめ、姥湯温泉、大平温泉、滑川温泉、新高湯温泉、五色温泉、湯の沢温泉などの個性豊かな「米沢八湯」が点在しています。
そして、全国にその名を知られるブランド和牛「米沢牛」、地元の伝統ある酒蔵の「地酒」、昼夜の寒暖差の激しい地域で育つ高品質な「果物・農産物」も、訪れる人々を魅了する味覚のひとつです。