直江兼続は米沢に移封後、まちづくりとともに暴れ川だった松川(最上川)の水害を防止するため、総延長10kmにおよぶ谷地河原堤防(直江石堤)と蛇堤を築きました。
蛇堤とは地元の通称で、大小の河原石を横にならべて積み上げる「野面積(のずら)」と呼ばれる、戦国時代の石垣造りの工法です。この工事は下級武士を従え、兼続自ら指揮をとったといわれています。
現在では直江石堤が残る河川敷が公園として整備され、地元の人々の憩いの場となっています。
その一角には散歩コースがあり、道沿いには直江兼続の偉業を紹介する石碑が点在し、歩きながら兼続の生涯をたどることができます。