昭和62年(1987)建立
元禄15年(1702)に起きた赤穂事件で亡くなった人々の追悼碑です。寛文4年(1664)、3代藩主上杉綱勝が跡継ぎのないまま急死すると、上杉家は断絶の危機に陥ります。この時、幕府高家の吉良上野介義央(こうずけのすけよしなか)(夫人は綱勝の妹富子)の子三之助が上杉家に養子入りし、断絶は免れました(4代藩主上杉綱憲)。
「赤穂事件」で殺害された吉良義央は綱憲の実父であり、「赤穂事件」は、上杉家にとっても重要な事件でした。
赤穂事件と米沢の関係については、米沢市の公式サイト「城下町ふらり歴史探訪」の「新貝弥七と山吉新八の墓」をご覧ください。
